教育のことば

教育のことば
 ソクラテスは彼自身何等の書物も著さなかったし、...講義を嫌った。ソクラテスは教師と見られることを欲しなかった、 なぜなら教師は弟子に伝え得る一定の知識内容を既に所有していなければならない、しかるにソクラテスは、自分は何も知らないと言う事を知っているのが 自分の唯一の知識である、という。ソクラテスは「教師」ではなく「知識の探究者」であることによって教師以上の教師になったのであり、 言葉の真の意味における「哲学者」になったのである。(三木清「ソクラテス」岩波書店)

教育の目的達成に必要なことは、まずより多くの費用をかけること、 そして教師達により多くの閑暇と教えることを自然に好むような状況とを確保することにある。(バートランド・ラッセル)

人間というものの底知れなさ、測りがたさにたいする畏れの感情を失った時、その瞬間から教育は退廃と堕落への道を歩み始める。 (遠山啓「競争原理を超えて」太郎次郎社)

 私が学んできたのは、教師が本当の自分のままになり、学生についてより理解し、より心を配る方向に動く風土があるならば、 学生は自分で選択し、その結果に責任を負い、 そしてより熱心にもっと多く学習するようになると言う事である。(カール・ロジャーズ「新・創造への教育」岩崎学術出版社)

 子どもをどうこうするすると言う事を考えないで、この子をいろいろ見て楽しませてもらおう。そうしたら自分が賢うなるし、 つられて子どもも賢うなったらええやないのというくらいのノリのほうがええのと違いますか(森毅「学ぶ力」岩波書店)

 人間として生き、教育を受けたいという心からの願いがあるところでは、経験の真実がそれ自身人に聞かれるようになれば、 必ずやそれはかなうだろう。『それ自身聞かれるようになる』ということばを私は重い意味をこめて使っている。本に印刷されたことばとしてではない。 (中略)よい耳を通してこそ、精神の目は見開かれるのである」(グルントヴィ『北欧神話』1832年の序文)

生徒の存在の中にある最善の可能性を引き出し自ら実現するために、教師は生徒の中に潜んでいるもの、現れているものをも含めて 、明確な一個の人格として見なさなければならない。教師は生徒をたんなる個性、性向、抑圧などの総体として認めてはならない。 生徒の存在をひとつの全体として理解し、 全体の中で肯定しなければならない。」 (マルティン・ブーバー「我と汝・対話」岩波文庫)

採用するときに試験を課すのは社内で教育する自信がない会社のすることである。教育する自信が無いから『とりあえず点がいいやつを採っておけ』 ということになるのではないだろうか。(松浦元男「百万分の一の歯車」中経出版)

教育は忍耐力の必要な仕事だ。もちろん忍耐力がなくても教えることは出来る。しかし、それなしで育てることは出来ない。教えたことは時間とともに熟していく。 しかし、現代の教育では、教えた直後にすぐ試験して評価して満足する。その人での熟し方を見届けない。これでいいのか。 (なだいなだ「専門馬鹿と馬鹿専門」筑摩書房)

教育問題の根本には、「自分の意見をはっきり言いなさい」「個性的に表現しなさい」といった「一義的でクリアカットなメッセージを発しなさい」という強制がある。 そういうことを子どもに強制するのはほとんど罪悪だと思う。むしろ言葉に詰まる子に対して、いくら言葉に詰まっていてもかまわない、 先生は待っていてあげるから大丈夫だよ、 と告げる事の方がずっと優先順位の高い教育課題じゃないですか(内田樹「14歳の子を持つ親たちへ」名越康文との共著・新潮新書)

学校教育の成果は社会的統合、平等主義、人格的発達という三つの機能について、ひとり一人の子どもに対してどれだけの効果を与えることができたかによってはかられる。 それは決して単一の尺度によってはかられるものではなく、一人ひとりの子どもについて固有の、個性的な基準に基づいて判断されなければならない。 (宇沢弘文「経済学と人間の心」東洋経済新報社)

愛国心の名において危害は国賓に加へられ、しかして同じ名においてわれらは軍備急増を求むる叫号によって、破産の淵に瀕せしめられつつあり。 わが教育制度は愛国心に訴うるその声の極端なりしがゆえに腐敗せり。愛国心が純粋にして真実なる為には、無言にして無意識ならざるべからず。 日本が大いに必要とするものは、深き無言の無意識なる愛国心にして、今日の騒々しき愛国心にあらざるなり。 無言に畑を耕す農夫、勤勉に読書にいそしむ学生は、 愛国心を説くことを職業とする人々よりはるかに愛国者なり。(内村鑑三・1898年3月31日「万朝報」)
 彼らを教師と呼ぶのはもはやふさわしくない。彼らは触媒者であり、ファシリテーターであり、エネルギー補給者である。 彼らは生徒に自由といのちと学ぶ機会を与えるのである。 もっとも大切なのは、彼らが生徒の共同学習者であることである。(ロジャーズ&フライバーグ「学習する自由」コスモス・ライブラリー)

 重要なのはいい学校にいくとか、いい会社に勤めるとかより、自分が経験したことを何回も何回も練り直して考えること。それをしなければ、人間の器はでてこないし、 自分が持っている先入観にも気づかないと思います。(吉本隆明「この人が語る不登校」講談社)

 時には何もしないことの方がたくさんの事をするより役に立ちます。話さず、教えず,ただそこにいるだけでいいのです。樫の樹は、何もすることなく、 奉仕することなく、教えを説かず、座って瞑想することさえもせず、樫の樹はただそこにあるだけで、私たちすべてにとても役立っています。 (ティク・ナット・ハン「ビーイング・ピース」中公文庫)

 賢さは成績の善し悪しからは独立している。成績がいいのは、むしろ、頭の固い人だ。成績のいい人が教師になると頭の固い人が 固いことを教えるようになるからたいへん具合が悪い事になる。(鶴見俊輔「教育の再定義」岩波書店)

 モチベーションを上げるのに大事だと思っているのは、選手が自分たちで物事を考えようとするのを助けてやる事だ。自分たちが何をやるか、 どう戦うのかを考えやすくしてやる事だ(イビツァ・オシム「オシムの言葉」(木村元彦著・集英社インターナショナル)

 曼荼羅は様々な仏や菩薩などが共生している様を絵図に表したものです。異なるもの同士が、話し合い、ぶつかり合いながらも、排除することなく、 ともに生きる道を探しましょうという思想なんです。私たちの国に根付いているこの思想を、日本はもっと世界に向かって発信していかなければならない立場にあるのです。 (鶴見和子「遺言」藤原書店)

 人間はこの世界にそれぞれ自由にお互いの人生を満喫して生を終えるために生まれてきた。教育はその自由な人生の満喫のための土台づくりである。 社会は競争の場ではない。まして教育の場はそうであってはならない。土台づくりは各個人の個性に合わせてゆっくり行うべきである。 教育は市民の権利であって、 義務ではない。社会と国家は、その権利の行使を全力を挙げて支える。従って、教育はすべて大学にいたるまで無料である」 (小田実2005年12月27日毎日新聞『西雷東騒』・「9・11と9条」大月書店所収
 重要なことは、個々の行動の現われは、全体としてのパーソナリティを離れては意味がないということ、そして、 その人のほかのこととの関連において調べて初めてそれを理解することができるということです(アルフレッド・アドラー「子どもの教育」岸見一郎訳・一光社)

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